串間原発立地アンケート NO4

昨日と続けての記事になったが、忘れないうちに書いておきたい。
それは、原発立地をした市町村の人口推移である。

同じ九州の佐賀県玄海町の場合は、県から原発立地の打診があった昭和40年には7700人だった人口が建設を始めるころには400人程度減少している。
この原因は当時集団就職で中学校を卒業した内の70%程度は工業地帯へと出て行った時代ということで納得できる。
当時の中学生が300人を超えていたということだから、毎年100人ちょっとが卒業したとして、約70〜80人は集団就職組だと思われることから、5年間だとそれくらいの数になり、この部分だけなら計算が合う。

ただ実際には出生と死亡の割合を当てはめることになり、当時は出生のほうが多かったことを考えると、工事が始まっていなかったとしても、人口が少しは増加すべき状態にはあったはずである。それにも拘わらず、人口が減少しているということは、多分に原発立地を危惧して出て行った人々がそれなりの数はいたということであろうか。

その後原発の建設が始まった昭和45年からは就職もあっただろうが、工事に関わった人々の転入もあり横ばい状態が続いている。ただ実際は工事に関わった人はまだ多いはずだが、この数からみると多分玄海町に住所をおいていなかったことが考えられる。

それから30年以上が経過した近年、10年前に7100人あった人口が現在は6500人に減少している。
一年に約50〜60人が少なくなっているということだが、その数字は人口の約1%ということで、他の市町村の減少率からみたら少ないほうではある。(串間の場合はるかに高い減少率である)

以上の人口推移から考察すると、建設開始から40年が経過して以降は、新たな工事が発生しない限り、原発による人口維持効果がなくなってしまうことを物語っているのだろうか。自然的高齢化も人口減少の要因ではあるあるが。

それでも、玄海町の場合は、40年前に原発が立地されなかったら、現在の人口は今の半分になっていたかもしれない。当時は人口減少を食い止める効果があったことは確かに認められる。

それではここで串間市の人口の推移をみてみよう。市の制定時には42000人以上あった人口が60年近くで半分以下の20300人になってしまったというものである。
ただし世帯数は全く減っていず、全国の例にたがわず世帯当たりの数が半減しているだけであり、その要因として、以前は親子孫夫婦が一緒に暮らしていた家庭も多くあったが、現在では、ほとんどの親子が別の世帯として暮らしている核家族化にある。

現在、串間の60歳以上の人口は9000人で、後20数年もするとそのほとんどが亡くなってしまい、且つ生まれる子供たちも年100人以下と少なく、卒業したらほとんど市外に出ていくことを考えたとき、現状のままでは約25年後(2035年)の人口は10000人を割ることも推察される。

それでは、原発を誘致を仮定した場合の人口はどうだろうか?
玄海町の例に当てはめると、集団就職で激減した時期と原発立地が重なったとしても、原発工事が始まってからは横ばいになっていること、そして多分玄海の場合は福岡に近いこと等から、住所を町外においたまま働いていた労働者も多かったことから実際には玄海町で働く人の数はその当時は若干増加していたことが推測される。

それを加味すると串間の場合は、高齢で亡くなる人の分は、原発関連の工事で増加すると思われるので、10数年は横ばいになることが考えられる。
人口維持効果と補償金による経済効果は確かにプラス要因となる。ただし、問題は、原発の安全性と自力再興を放棄してしまう意識のあり方であろう。

ここで話を変えてみよう。

今後更に高齢者の数が多くなることで、介護のあり方が問われてくる。
私としては串間の場合は、家庭内介護や地域での小単位介護のかたちをとることを望む。そうしないとただいたずらに介護の大型施設を作ったとしても、将来においては、必ず税金から補てんされる介護費用などが削減され、年金も減少することから、施設に入れたくてもできない現実に直面すると思われるからだ。

本来あるべき介護のかたちは、都会では無理としても、地方(田舎)では長く生活してきた地域で、その場所の四季の移り変わりと家族を含め知っている人との触れ合いを感じることができるエンディングライフでなければと思う。

これは決して、原発立地と関係ないことではなく、これからの介護の形をどのようにするかということは、高齢者のみならず、全ての市民が真剣に取り組むべき課題である。将来可能な介護の形の基礎をつくることは、原発立地賛否を決めることと並行して考えるべき重要なことである。

つづく    http://nankyuu.net